天下一品店内2 |
![]() ![]() ![]() |
天下一品本店の店内を撮ってみました。 奥の壁上部に貼れている写真の人物は、創業者でもある木村勉社長。屋台から始め、今では天一を全国チェーン展開するほどの外食企業に育て上げた、いわば立志伝中の人物ですね。学生時代関西ローカルのテレビにしばしば出演しては、苦労話やサクセスストーリーを饒舌に語っていたような記憶があります。 以下の文章は、天一公式サイトからの引用です。この引用文を読めば、壁に書かれた「資金3万7千円からスタート。現在に至る」の文章の意味が分かります。天一のスープと同様、かなーり濃い味のキャラしていますね。成り上がる人は、やはりこれぐらいのキャラでないとダメだということでしょう。 --------------------------------------------- 大阪万博が開かれた翌年、昭和46年(1971年)、京都で一人の男がラーメンの屋台を引きはじめた。現在、天下一品グループ4社を率いる木村勉社長、36歳の時である。 それまで15年間勤めていた会社が倒産。持ち金3万7千円、拾い集めた廃材を板金職人の友人に組み立ててもらってのゼロからのスタートだった。初日の売り上げは11杯。当時の一般 サラリーマンなみの収入を得るには1日100杯を売り切らなければならない。 仕入れのための現金が底をつき、屋台の縄張りをめぐってのいやがらせが毎晩のように続く。包帯を巻きながら、黙々と麺をさばく頭の中は、「どうしたら、お客さんにもっと来てもらえるような味を作れるんやろ。」という思いでいっぱいだった。 「これなら自分でもできるんとちがうか」とはじめた屋台のラーメンだったが、実際やってみるとたいへん奥が深かった。 屋台仲間のおじいさんから教わった基本のスープは、どこの屋台でもある醤油味のスープ。「この味ではわざわざ来てもらえない」。屋台を引きながら、いろんな材料で「これもアカン、あれもアカン」と毎日四苦八苦しながらやっと納得のいく味にたどり着く。屋台を引きはじめてから4年目、天下一品秘伝のスープの誕生である。 |