山口県立久賀高校

The Road to Success

Short History

Short Story

1992年度 部員不足に悩みながら、
夏10年ぶりの8強
1999年夏の甲子園大会に島の学校として出場して話題となる。全校生徒数200名余り、男子数80人、うち約半数が野球部員。春夏甲子園出場各1回、秋季2回、春季3回、夏季大会1回の優勝実績を持つ。瀬戸内海に浮かぶ周防大島にあり、山口県内でも最小規模の学校。1962年春の選抜大会に出場。その後、昭和50年代前半まで、山口県の強豪の一角にあり続けたが、過疎化・少子化の影響もあり、部員数の減少とともに、野球部も衰退していった。
 1990年に同校OBで現監督の大浪氏が監督に就任。数年は実績を残せなかったが、1994年に地元久賀町の支援を得て合宿所を設け、島外からの部員を確保できるようになった。以来、上位進出の実績こそないものの、県内ではダークホース的存在と言われるまでに着実に力をつけていった。

■1999年度のチームは、確かに戦力面で充実しており、期待されたチームだったが、関係者の期待以上の成績を残した。山口県の主要4大会のうち、秋季・春季・夏季大会に優勝、会長大会に準優勝という、かつて元広島の津田投手を擁した南陽工業以来の準グランドスラムの快挙を成し遂げた。しかし、津田投手のようなスター選手がいる訳ではなく、平均身長170センチのスターなき集団が成し遂げたのである。
久賀町のある大島には、高齢化率日本一の東和町がある。東和町と同様に、島内の久賀・橘・大島の3町も、過疎と高齢化に悩まされており、久賀高校ナインの活躍は、沈滞気味だった島に久々に明るい話題を提供した。甲子園には島民及び出身者が大挙して詰め掛け、5000人の大応援団は甲子園でも話題となったのは周知のことである。
島の高校の甲子園出場ということで、新聞・テレビ・雑誌等のメディアに大々的に取り上げられたが、郡部の高校の出場という観点からの記事はほとんどなかったように思う。山口県に限ったことではないと思うが、郡部の高校は、勉強の面でもスポーツの面でも、必ずしも恵まれた環境にあるとは言えない。その両面において、都市部の学校の後塵を拝していると言わざるを得ないのが実情です。現に、山口県では甲子園に出場した高校の中で、郡部の学校は久賀高校だけ。そんな状況の中、山口県の郡部の、しかも最小規模の学校の甲子園出場という快挙は、全国の久賀高校と同じ状況にある学校に勇気と希望を与えたという意味でも、意義がある。久賀高校と同じような環境にある学校、特に瀬戸内海の島の学校(愛媛のしまなみの学校や小豆島の学校)には頑張ってもらいたい。

■2000年度のチームは、前チームが甲子園に出場し、チーム作りが大幅に遅れた為、秋の段階では攻守両面にわたってプレーの粗さが目立ち、試合では自滅するケースが多々見られたが、一冬越して投手を含めたディフェンス面が強化された。その結果が、春季のベスト8という成績になって現れた。夏の大会は、優勝候補筆頭の南陽工業にサヨナラ勝ちし、その存在感を示したものの、3回戦では、山口高校によもやの敗退を喫した。しかし、レギュラーのうち4人が2年生という若いチームであり、二枚看板の2年生投手を有していることを考えれば、新チームは楽しみ。秋の大会は頑張って欲しい。

■2001年度のチームは、投手を中心とした守備型のチーム。周東大会では準優勝したものの、秋季大会は打線が投手を援護できず、岩国工業に敗退。このチームの課題は打撃。冬場の練習で、どこまで打撃力をアップできるか楽しみだ。
久賀の一番の心配は、来年以降部員が確保できるかどうかということ。久賀のある周防大島は山口県でも一番の過疎地。地元の生徒だけでは野球部を維持するのは困難。部員確保は、大浪前監督(現・華陵監督)の手腕に負うところが大きかっただけに、今後部員確保はどうするのでしょうか。また、以前のように慢性的部員不足に陥り、成績もジリ貧、最悪廃部になる可能性があります。心配ですね・・・。
・春季大会は現チームの課題である打撃が相変わらず振るわず、2回戦で熊毛南に敗退。秋の段階からチーム力はあまりアップしていないように思いました。頑張って欲しいですね。
・会長大会は1回戦で難敵・岩国に完封勝ちしたものの、2回戦で岩国商業に完敗。打撃が弱いだけにピッチャーが崩れると試合になりません。打撃力の急激な向上は見込めだけに、投手陣の整備が急務のようです。
・夏季大会は1回戦で実力校・徳山商業に快勝したものの、2回戦では今年度上位進出実績を残している防府西に惜敗。負けたとはいえ、投攻守に満足できる試合だったのではないかと思います。

■2002年度のチームは、99年夏の甲子園出場とはまったく接点のない選手達が主力。私が見た限りでは、今までの久賀らしさをまったく感じさせない野球をしています。投攻守すべてにおいて力不足なのは確かですが、目指す野球の方向性が伝わってこないのがとても残念。唯一の明るい話題としては、島の中学出身の選手達が入部するようになったことです。頑張って欲しいですね。
・春季大会は1回戦で好投手のいる熊毛南に競り勝ったものの、2回戦では岩国総合に逆に競り負け敗退。試合を観た感じでは、総合力では熊南の方が上、総合とは互角。特に打線のひ弱さが目立ちました。今の打線には、上位打線とかクリーンアップというものは存在せず、すべてが下位打線といった印象でした。戦力的には、岩柳地区を上中下の3つにグループ分けした場合、下位グループの中位ぐらいだと思います。
・会長大会は1回戦で大島商船に競り負け敗退。ヒットを打つ、得点する、試合に勝つ、強くなるという可能性がまったく感じられません。これは今年のチーム力からすれば当然なのかもしれませんが、チームの方向性あるいはチームカラーというものさえ感じられないのは大変残念です。
・夏季大会は1回戦で徳山高専に敗退。02年度のチームは、結局結果は残せませんでした。勝敗は抜きにして、観客から「いい野球をしているなぁ」と思われるようなチームになってほしいですね。

■2003年度のチームは、地元大島出身の選手が中心。島の子供たちだけでどこまでやれるか注目です。勝敗云々は抜きにして、「これだけは山口一じゃ!」と自慢できるものを前面に出して、試合をしてほしいです。全力疾走、元気、フルスイングなどなんでもOK。頑張って下さい。
・夏季大会は第二シードに選ばれたものの、3回戦で柳井商業によもやの敗退。シード校の義務である準々決勝進出は、残念ながら果たせませんでした。戦力的にはそれほど傑出したチームではなかったように思いますが、名誉ある夏季大会のシード校にも選ばれ、年間7勝も挙げたのですから立派の一言。勝利に対する執念をひしひしと感じさせてくれる好チームでした。

■2004年度のチームは、92年度以降一番力のないチームのような気がします。新人戦も秋季大会もコールド負け。コールドゲームは相手が格段に強いか、自チームが格段に弱い場合に成立するもの。現チームは、後者の方に該当すると思われます。応援してくれるじいちゃんたちを落胆させないような内容の試合をするよう頑張って下さい。
結局、94年度以来の公式戦未勝利でした。チーム力からしてしょうがないですね。暗黒の時代にまた戻ってしまうのか、復活をみせるのか、来年に期待しましょう。余談ですが、村田現監督は俳優の山本太郎に似ています。

■2005年度のチームは、1年生主体の若いチーム。潜在能力をなんとなく感じさせる雰囲気があり、冬場の練習次第では成長する可能性大。来春に期待しましょう。
(04.09.21記述)

1993年度 年間4勝ながら、
夏季大会で優勝候補の柳井を破る
1994年度 公式戦未勝利

合宿所設立
島外選手の受け入れを始める

底辺からのスタート
久賀高校A級伝説の幕が開く

1995年度 3年計画の2年目
2年生主体のチーム
1996年度 ※3年計画の最終年
戦力が充実し期待された年だったが
3回戦の壁を破れず

周東大会・岩国商業に敗れ1回戦敗退

秋季大会・岩国商業に敗れ3回戦敗退

春季大会・光高校に敗れ3回戦敗退

会長大会・岩国高校に敗れ2回戦敗退

夏季大会・岩国高校に敗れ1回戦敗退

1997年度 ※近年最多の7勝をあげる

周東大会・岩国商業に敗れ1回戦敗退

秋季大会・豊浦高校に敗れ準々決勝敗退
※秋季大会ベスト8

1年生大会優勝(1996年秋)

春季大会・柳井高校に敗れ3回戦敗退

会長大会・聖光高校に敗れ2回戦敗退

夏季大会・南陽工業に敗れ2回戦敗退

1998年度 ※2年生主体のチーム
3回戦で3度敗退
ダークホース的存在

周東大会・柳井高校に敗れ1回戦敗退

秋季大会・下関中工に敗れ3回戦敗退

1年生大会優勝(1997年秋)

春季大会・岩国工業に敗れ3回戦敗退

会長大会・光丘高校に敗れ1回戦敗退

夏季大会・早鞆高校に敗れ3回戦敗退

1999年度

周東〜柳井

春季〜夏季

周東大会・光高校に敗れるも準優勝

※秋季大会優勝・中国大会出場
中国大会・倉敷工業に敗れ1回戦敗退

※春季大会優勝・中国大会出場
中国大会・如水館高に敗れ1回戦敗退

会長大会・光高校に敗れるも準優勝

※夏の大会第1シード獲得
※夏の甲子園大会初出場
甲子園大会・旭川実業に敗れ1回戦敗退
「A級伝説」達成

2000年度 ※2年生主体のチーム

周東大会・岩国商業に敗れ1回戦敗退

秋季大会・優勝した岩国工業に2回戦で大敗

1年生大会優勝(1999年秋)

春季大会・下関中工に敗れ準々決勝敗退
※春季大会ベスト8

会長大会・柳井高校に敗れ3回戦敗退

夏季大会・2回戦で優勝候補の南陽工業を撃破するも
山口高校に敗れ3回戦敗退

2001年度 周東大会・岩国高校に敗れるも準優勝

秋季大会・岩国工業に敗れ1回戦敗退

春季大会・熊毛南高に敗れ2回戦敗退

会長大会・岩国商業に敗れ2回戦敗退

夏季大会・防府西高に敗れ2回戦敗退

2002年度 周東大会・柳井高校に敗れ2回戦敗退

秋季大会・光高校に敗れ1回戦敗退

春季大会・岩国総合に敗れ2回戦敗退

会長大会・大島商船に破れ1回戦敗退

夏季大会・徳山高専に敗れ1回戦敗退

2003年度 周東大会・柳井学園に敗れ1回戦敗退

秋季大会・岩国商業に敗れ2回戦敗退

春季大会・下関商業に敗れ準々決勝敗退
※春季大会ベスト8

会長大会・光高校に敗れ2回戦敗退

夏季大会・柳井商業に敗れ3回戦敗退

2004年度 周東大会・柳井高校に敗れ2回戦敗退

秋季大会・聖光高校に敗れ1回戦敗退

春季大会・岩国高校に敗れ1回戦敗退

会長大会・岩国工業に敗れ1回戦敗退

夏季大会・防府西高に敗れ1回戦敗退

2005年度 周東大会・光丘高校に敗れ2回戦敗退

秋季大会・岩国商業に敗れ2回戦敗退

春季大会・光高校に敗れ1回戦敗退

会長大会・岩国総合に敗れ1回戦敗退

夏季大会・岩国高校に敗れ2回戦敗退

 

99年春季中国大会でのこと。久賀高校は、秋に続いて春も中国大会に出場。場所は、広島・呉の二河球場、対戦相手は優勝候補の広島・如水館。新聞の下馬評では、如水館断然有利の予想。試合前のスタンドでも、私の周りの野球好きの外野雀たちが、広島弁で「5回で終わるじゃろう」「明日のことがあるから、今日ははよう終わらせて欲しいのう」とか「久賀の選手は小さいのう」とつぶやくほどの楽観モード。そんな中、久賀のノックが進むにつれ、外野雀の口から、「ほぉー」とか「うーん、守備はうまいのう」と感嘆の声が私の周囲であがるようになり、久賀に対する認識を改め始めた様子。その予感が的中したかのように、試合は一進一退の攻防が続き、延長戦に突入・ナイター試合となり、12回裏如水館のサヨナラ2ランで3時間に及ぶ熱戦に終止符が打たれた。如水館とは、余りにも対照的な(平均身長差約10センチ、技術・パワーの差など)チームカラーなのだが、肉体・技術面のハンデを補って余りあるその精神力と粘りには感動また感動。負けたけれども、「柔よく剛を制す」という諺の見本をみた思いで、それ以来、久賀とは縁もゆかりもない部外者ながら注目していました。

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